『問いのデザイン』を読んで考えたこと
目次
安斎勇樹さん・塩瀬隆之さんの『問いのデザイン――創造的対話のファシリテーション』を読んだ。
これまで読んできた本の中でも、自分が普段考えていることにかなり近く、内容がすっと頭に入ってくる本だった。教員免許を取る過程で教育学に触れていたことも、読みやすく感じた理由の一つだと思う。
特によかったのが、言葉の定義の示し方だ。辞書的な意味を紹介するだけでなく、「この本では、その言葉をどういう意味で使うのか」が明確に整理されている。数学の教科書で定義や公式を確認しながら読み進めるような感覚があり、理系の自分にも読みやすかった。
新しい考え方を知る面白さもあったが、それ以上に、「自分の中に漠然とあったものが言語化された」と感じる場面が多かった。
今回は、特に印象に残った三つのトピックについて、自分の経験も交えながら書いてみたい。
一つ目は、「質問」「発問」「問い」の違いだ。
普段はどれも「質問する」という言葉でひとまとめにしがちだが、本書では、問う側と問われる側が答えを知っているか、そして何のために尋ねるかによって整理されている。
- 質問:問う側が知らない答えを、知っている相手から引き出す。
- 発問:問う側が答えを知ったうえで、相手に考えてもらう。
- 問い:双方が答えを知らないことについて、創造的な対話を促す。
これは、あらゆる場面での言葉の使い方を決める定義というより、本書を読み、実践するための整理として捉えると分かりやすい。
中でも、自分が特に大切だと思ったのは「発問」だった。
自分は答えを知っているけれど、あえて相手に尋ねる。それは、相手に考えてもらうきっかけをつくるためだ。
例えば、コードの間違いを教える場面でも、すぐに修正方法を伝えることはできる。一方で、「この変数には、ここでどんな値が入っていると思う?」と尋ねれば、相手が処理の流れを自分でたどるきっかけになる。
同じ内容を教えるにしても、答えを伝えるのか、答えにたどり着く思考を促すのかで、関わり方は変わる。
もちろん、まだ考えるための知識がなければ、先に説明する必要もある。それでも、教える側が「今は説明する場面か、考えてもらう場面か」を意識できるだけで、教え方の質は一段変わると思う。
教育に限らず、人に何かを教える機会がある人にとって、知っておくと役立つ区別だと感じた。
二つ目は、「問いを因数分解する」という考え方だ。
本書では、問いを「探索の対象」と「制約」に分け、何を、どの範囲や条件で考えてもらう問いなのかを捉えている。
例えば、朝食について尋ねる場合でも、「今日」について聞くのか、「今月」の中から選んでもらうのかで、思い出す範囲が変わる。さらに「最も豊かだった」という条件が加われば、経験を振り返るだけでなく、「自分にとって豊かな朝食とは何か」という価値観も考える必要がある。
つまり、一つに見える問いの中に、別の小さな問いが含まれていることがある。本書では、言葉の定義を確かめる問いを取り出す例も紹介されている。
これを読んで、自分が普段やっている「言葉を分解して意味を考えること」とのつながりを感じた。
例えば、自分がリクルートの言葉として知った「圧倒的当事者意識」について考えたときのことだ。
最初は、全体をまとめて「自分事として考えること」と解釈していた。
間違ってはいない気がする。でも、それだけでは抽象的すぎて、何かを捉えきれていない感覚があった。特に「圧倒的」という言葉の意味が、解釈から抜け落ちていた。
そこで、まず言葉を区切ってみた。
圧倒的 / 当事者 / 意識
ただ区切るだけでは意味は深まらないので、それぞれについて、何を考える必要があるかを問い直した。
最初は、「当事者とは誰か」。
その出来事や課題に直接関わる人、と捉えてみると、会社員は自分の担当業務について、すでに当事者である。しかし、その立場にいることと、主体的に向き合っていることは同じではない。
そこで次に、「当事者意識とは、どんな姿勢か」と考えた。
自分の担当業務に主体的に向き合うことはもちろん、直接の担当ではない課題も自分事として捉えること。自分は、この言葉にそうした姿勢を読み取った。
ただ、ここまででは、最初の「自分事として考えること」という解釈と大きく変わらない。
最後に残るのが、「何をもって圧倒的とするのか」という問いだ。
行動の量なのか、考える深さなのか。それとも、関わる範囲なのか。いくつかの捉え方がある中で、自分は、自分事として捉える範囲の広さに着目した。
エンジニアであれば、ほかのエンジニアが読みやすいコードを書くことも大切だ。そのうえで、プロダクトマネージャーやプロジェクトマネージャーの視点まで広げてみる。
この機能は何のために必要なのか。今、優先して取り組むべきことは何か。プロジェクト全体から見ると、自分の判断はどんな影響を与えるのか。
そう考えると、担当業務の中だけで完結していた「自分事」の範囲が広がる。
ここから、自分なりにたどり着いた解釈は、次のようなものだった。
圧倒的当事者意識とは、職種や役割のレイヤーを横断して、自分事として考えること。
これは、リクルートの公式な定義でも、本書が示す定義でもない。言葉を問い直す中で、自分が得た一つの解釈だ。
ここでいう「横断する」は、他職種の仕事をすべて引き受けるという意味ではない。ほかの役割が何を重視しているかも踏まえて、自分の判断や行動を考えるということだ。
今回の考え方を本書と結びつけるなら、単語を分割したこと以上に、「当事者とは誰か」「当事者意識とはどんな姿勢か」「圧倒的と判断する基準は何か」という小さな問いを取り出したことが重要なのだと思う。
分かったつもりで使っている言葉を問い直すと、自分が見落としていた要素や、曖昧にしていた部分に気づける。本書を読んで、普段の自分の考え方を捉え直すことができた。
三つ目は、本書を読みながら、自分なりに付け加えたくなったことだ。
本書では、問いのデザインの手順が、大きく二つに整理されている。
- 課題のデザイン:問題の本質を捉え、取り組むべき課題を定める。
- プロセスのデザイン:問いを投げかけ、創造的な対話を促す。
この流れを実践するとき、自分は、問いへの参加を支える下地として「アサーション」を意識したいと思った。
鹿児島県総合教育センターの指導資料では、アサーションを「相互尊重の精神に基づいて行う自己表現」と説明している。自分の意見や気持ちを率直に伝えることと、相手も同じように表現できるようにすること、その両方が含まれている。[1]
自分の事情を話す「自己開示」は、その一部として使える。ただ、自分の話をするだけでアサーションになるわけではなく、相手の考えや事情も尊重することが大切だ。
この考え方を、本書の「課題のデザイン」「プロセスのデザイン」に重ねると、自分の中では次の図のようなイメージになる。
図の下側に置いたアサーションは、自分が実践するときに意識したい、対話への参加を支える下地だ。「自分の思いを伝えること」と「相手の思いを受け止めること」を行き来しながら、一緒に考えられる関係をつくっていく。
取り組むべき課題があり、それについて問いを投げかける。しかし、問いを投げかけたからといって、相手がすぐに「自分も一緒に考えたい」と思うとは限らない。
そこで、「自分はこんなことを実現したい」「今、こういうことに困っている」「だから、あなたと一緒に考えたい」と伝える。そして、相手がどう感じているのか、どんな事情があるのかも聞く。
そうしたやり取りが、「自分も話してみよう」「一緒に考えたい」と感じてもらうきっかけになるのではないか。ここからは、そう考えた自分の経験を書いてみたい。
教育実習のとき、授業が嫌いな子に個別で、次のような趣旨の話をしたことがある。
先生は、みんなと楽しい授業をつくりたいと思って、一生懸命授業を準備してきた。○○君とも一緒に楽しい授業をつくりたいと思っているから、何か気になることがあったら教えてほしいな。
この言葉の中で、アサーションとして大切にしたい部分は三つある。
まず、「みんなと楽しい授業をつくりたい」と、自分の思いを伝えていること。次に、「○○君とも一緒につくりたい」と、協力をお願いしていること。そして、「気になることがあったら教えてほしい」と、相手の考えも聞こうとしていることだ。
自分の願いを伝えながら、その子が授業をどう感じているのかも受け止めたい。そうした関わり方を大切にしていた。
自分にとって教育実習は、生徒に比較的近い目線で話しかけやすい場面だった。ただ、教える側と教わる側という立場の違いはある。「一生懸命準備したのだから協力してほしい」という圧力にならないよう、相手の声を実際に聞くことが必要だと思う。
こちらの思いが伝わり、話を聞いてもらえると感じてもらえれば、「自分もちゃんと思っていることを伝えてみよう」という気持ちにつながるかもしれない。
これは、その後の「どうすれば授業がもっと楽しくなると思う?」という問いに参加しやすくするために、アサーションを応用した例として捉えている。
先ほどの指導資料でも、教師自身が日常の中でアサーションのモデルとなることが勧められている。子どもに表現してもらうだけでなく、教える側の伝え方も大切なのだと思う。[1]
もう一つ、研究室で印象に残っている出来事がある。
その期は、ある教授が論文を確認しなければならない学生の数が多かった。さらに、多くの学生が提出期限ぎりぎりに論文を出し、中には期限を少し過ぎてしまった学生もいた。その結果、確認する論文が一度に集中した。
そこで教授は、「そんなんじゃ社会に出て通用しない」という趣旨のメールを送った。
期限に遅れたことについて、伝えるべきことはあると思う。ただ、期限内に提出した学生もいる。自分は、その状況に対して、そこまで強く怒る必要があるのだろうかと感じた。
このやり取りでアサーションが足りないと感じたのは、教授自身の状況や、求めている協力が具体的に伝わらないまま、学生への広い評価になっていることだ。
「社会に出て通用しない」という言葉では、今回の提出の何が問題で、次にどうすればよいのかが分かりにくい。
ここでアサーションを使うなら、例えば次のような伝え方が考えられる。
今期は確認する論文の数が多く、締切直前に提出が集中したことで、一人ひとりの論文を十分に確認する時間の確保が難しくなっています。きちんと読んでコメントを返したいので、今後は完成前でも、途中段階で一度共有してもらえると助かります。早めの共有が難しい事情があれば、それも教えてください。
この伝え方では、「論文が集中している」という状況と、「確認時間の確保が難しい」という困り事を説明している。
そのうえで、「きちんと読んでコメントを返したい」という意向と、「途中段階で共有してほしい」というお願いを伝え、学生側の事情も聞こうとしている。こうした部分が、アサーションに当たると考えている。
また、期限に遅れた学生と、期限内に提出した学生は分けて考える必要がある。
遅れた学生には、「間に合わないと分かった時点で相談してほしい」と具体的に伝えられる。一方、期限内に提出した学生に早めの共有を求めるなら、それは今後に向けた協力のお願いになる。
確認に余裕が必要なら、中間提出日や確認期間をあらかじめ設けることも大切だ。伝え方の工夫に加えて、進め方そのものを見直す必要もあると思う。
教育実習の例では、アサーションを、その後の問いに参加してもらいやすくする下地として考えた。
一方、研究室の例から伝えたいのは、教授や部長、マネージャーといった、立場が上の人にこそ意識してほしいということだ。
立場が上がるほど、自分の困り事や思いを率直に伝えることは難しくなる面もあると思う。それでも、「今こういうことに困っている」「こうしたいので協力してほしい」と少し自己開示することで、学生や部下への伝わり方は変わるのではないか。
相手が背景や思いを理解することで、「言われたからやる」だけでなく、「自分も協力したい」と、自分から動くきっかけになる可能性がある。
これは、自分の経験から考えた可能性であり、自己開示をすれば必ず意欲が高まる、という話ではない。特に立場の差があると、お願いが命令として受け取られることもある。相手が難しいと言ったときや、異なる意見を出したときに、それを受け止めることまで含めて大切にしたい。
アサーションを、すべての問いの前に必ず挟む手順にする必要はない。ただ、課題を共有して対話を始めるときに、お互いの思いや事情を言葉にする下地があるとよいと思った。
どんな問いを投げかけるかに加えて、相手がその問いに参加しやすい関わり方も考える。本書を読んで、自分はそこまで含めて実践してみたいと感じた。
『問いのデザイン』は、自分の中にあった感覚を言葉にしてくれる本だった。
質問・発問・問いを区別することで、相手に何のために尋ねているのかを考えられる。問いを分解する考え方からは、分かったつもりで使っている言葉を捉え直すヒントを得た。そして、問いを一緒に考えるための下地として、自分の思いや事情を伝えることも大切にしたいと感じた。
本の内容に納得するだけでなく、「自分がやっていたことは、これに近いのかもしれない」「自分なら、こういう関わり方も意識したい」と、自分の経験を重ねながら読めたのがよかった。
これから誰かに何かを教えたり、一緒に課題を考えたりするときには、答えだけでなく、その手前にある言葉や問いの置き方にも意識を向けていきたい。
安斎勇樹・塩瀬隆之『問いのデザイン――創造的対話のファシリテーション』学芸出版社。
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[1]鹿児島県総合教育センター(2003年9月)「互いを大切にする自己表現力を育てる指導―アサーション・トレーニングを通して―」『指導資料 教育相談』第116号、1〜2頁。
指導資料を読む(PDF)